ANA国内線【PR】

日録
by gobancho_jp
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
最新のコメント
何でも初モノって貴重な..
by 一番目でした~ at 00:48
ええ、108回しっかり..
by 除夜の鐘を奥まで at 20:21
今日も工 ロい女のおな..
by 見てるだけなのに?!(笑) at 10:51
マグロだけですよ?!ベ..
by なっ、なんぞーっ?! at 02:27
才ナネタ探してたらなん..
by ネタじゃなかったス at 13:19
ホントに中って熱いんだ..
by おぉ・・・ at 19:08
どぷゅんどぷゅん中に注..
by 満タンいきますです at 21:54
何か感じすぎたみたいで..
by うんと焦らしたら at 20:31
やー最高だわこのプレゼ..
by じぃんぐるべぇぇええる!!! at 13:29
手でしてもらって2万っ..
by この展開は意外だったな。。。 at 11:57
メモ帳
最新のトラックバック
終始ラブラブモードの二人..
from 辻希美・杉浦太陽結婚会見
ライフログ
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
XML | ATOM

skin by excite
舞台評6月3日2010Power of Yes
燐光群公演「ザ・パワー・オブ・イエス」

原作:デイヴィッド・ヘアー
演出:坂手洋二


欲望と恐怖の世界―金融の実態暴く

 昨年秋に発覚したギリシャの財政危機がユーロ圏から世界へと波及しつつある現在、なんともタイムリーな芝居が、東京・大阪・名古屋で上演された。燐光群の『ザ・パワー・オブ・イエス』だ。イギリスの劇作家デイヴィッド・ヘアーがナショナル・シアターの依頼を受けて、2008年の世界金融危機はなぜ起こったか、また今何が起こっているのかを、当事者の証言によって解き明かすドキュメンタリー演劇である。

舞台は、3本の白い角柱があるだけのシンプルな空間。その陰から1人の男が現れ、観客に向かって語りだす。
―9月15日、何の日か知っていますか。この日、資本主義は停止しました。自分は金融のことは分からないけれど、なぜそうなったかを調査します、と。

男は作家ヘアー、舞台は2時間、当事者を延々と取材する過程そのものを描いていく。
この狂言回し役を演じるのが「シアター能楽」のジョン・オグルビー、まさに適役だ。外国人特有の、ちょっとぎこちない日本語が、金融という複雑怪奇な世界の舞台を前にした、私たち観客の不安に同期して、親しみとユーモアを与えるからだ。

インタビュー対象は23名。これを21人の役者が演じている。
1人2役の役者が8名、なかでも1人3役を演じ分けるのは、劇団の看板役者、鴨川てんしである。

まず1人目は金融工学の生みの親、デリバティヴ(金融派生商品)の価格づけの数式化でノーベル賞を受賞したマイロン・ショールズ教授だ。その後、自らもヘッジファンドLTCMの経営に参画し、2度も莫大な損失を出した人物だ。あのブラック≂ショールズ方程式を黒板に描き、NYタイムズ記者(横山展子)に講義を始めると、客席からは失笑がもれる。(注)

つづく2人目はアメリカ中央銀行FRBの総裁アラン・グリーンスパン。〝金融の神様〟と呼ばれた彼は、住宅バブルの崩壊が自らの金融緩和政策の結果だったことをしぶしぶ認める。

そして3人目は、イギリスの金融監督庁FSAのアデア・ターナー現会長だ。
彼と初代会長ハワード・デイヴィス(大西孝洋)の証言で、2007年の住宅金融ノーザン・ロック銀行の取付け騒ぎと翌年2月の国有化、これが9月15日のリーマンショックへと連動したことが明かされる。
さらにインタビューは、銀行家、投資家、証券トレーダー、国会議員、市民相談室職員、新聞記者、TVジャーナリストと続く。

かくしてサブプライム・ローンに代表される債権の証券化とその大規模な流動化に加担した英米の、銀行化した証券会社と証券会社化した銀行、その無軌道ぶりを見過ごした監督官庁という、金融危機の構図が浮き彫りにされるのだ。

最後の証言者は、〝ヘッジファンドの帝王〟ジョージ・ソロス。投機家にして慈善事業家、そして世界同時不況を早くから予告していた彼は語る。マネーゲームに群がる人びとを突き動かすのは〝欲望〟と〝恐怖〟だ。自分も莫大な損失を被ったが、ほんとうの被害者はゲームに参加しなかった民衆だ、と。
ソロス役は福島訛りの藤井びん。このハンガリー生まれの亡命ユダヤ人の複雑な人物をみごとに演じた。

ちなみに、1998年、あのショールズらのLTCM倒産の時点から、世界金融危機の到来を警告し続けた日本のジャーナリストがいる。ネット配信「国際ニュース解説」の田中宇だ(「神々の崩壊」)。
彼のような人物へのインタビューを含めて、日本の経済危機を検証する舞台にチャレンジする劇団が現れるのを期待したい。


注:客席のこの笑いには、二つの種類があったように思う。一つは、少数だが、ショールズの失敗をよく知っていた観客の笑い。もうひとつは、理解不能のものを前にしてゆえに思わず笑ってしまう、あの笑いだ。


Power of Yesという芝居のタイトルであるが、そのままカタカナ表記というのも不親切ではないか。
最近の洋画もほとんどそうしたものが多いが、この場合、「有無を言わせぬチカラ」とでも訳すべきだろう。

鴨川てんしさんから、電話をもらった。以前、名刺を渡していたから、とのことだがビックリした。
今、学生たちと見ている「冤罪」「誤報」の映画『日本の黒い夏』に出演されているばかりでなく、もともとお芝居の方が先に上演されていて、中井貴一の役は鴨川さんだったという。不思議な縁である。
この会の芝居でも、むずかしい役柄、しかも三人も、ほんとうにご苦労さまでした。ぜひ、再演を期待します、と伝えた。

More

# by gobancho_jp | 2010-06-10 12:28 | Theatre
1月29日劇評2010

血は立ったまま眠っている


作:寺山修司
演出:蜷川幸雄


創造的破壊〟を煽動する寺山演劇

寺山修司が23才で書いた処女戯曲『血は立ったまま眠っている』の舞台が、1月18日、渋谷のBunkamuraシアーターコクーンで幕を開けた。演出は、彼と同じ1935年生れの蜷川幸雄だ。

 1960年代から80年代初期にかけて時代の先端を疾走し、47才の若さで死んだ寺山に対して、今年75才になる蜷川は、若い頃は役者としてその後は演出家として、劇一筋でエネルギッシュに活動を続けている。興味深いことに、二人はこれまでほとんど接触がなかったという。

 その理由は、あの60年安保闘争のさなか、蜷川が政治的な演劇青年だったのに対して、寺山が徹底的に非政治な芸術青年だったことにあるだろう。
 では、なぜ、その蜷川が50年の歳月をへて、初めて寺山の作品を上演するにいたったのか。その動機を探ってみたい。


More

# by gobancho_jp | 2010-01-29 21:48 | Theatre
書評『刑罰と観衆』
松永寛明著『刑罰と観衆』

物理学に三体問題という難問があるが、人文・社会科学の領域においては、社会関係をトリアード問題として扱うことはあまりなかったように思う。
哲学の分野においては二元論的思考による自己‐他者という2項関係が論じられるばかりで、たとえば媒介者という第3項をいれて論究しようとする論考は、私見の及ぶかぎりでは、現われていない。そのため、私たちはそうした数少ない例をたやすく思い浮かべることができる。
社会心理学のF・ハイダーの認知的バランス理論、文化人類学ではR・ジェラールの「欲望の三角形」図式がそれである。あるいは自己と他者という2項に「重要な他者」の介在を措定するH・G・ミードやフロイトのイド・自我・超自我論も3項モデルといえるだろう。

その意味で、本書『刑罰と観衆』は、刑事司法に関する従来の社会学的研究が法執行者と法違反者に焦点を合わせてきたのに対して、両者に「観衆」という1項を加えて3項モデルを構築しようという理論的試みであり、きわめて刺激的な一冊である。本書未読の読者のために、主な論点を逐次、紹介していこう。

第1章は、社会学とりわけ逸脱の社会学における理論文献の整理を行ない、その上で、3項モデルを呈示しようとする。逸脱者の行動のみに焦点をあてる〈社会規範モデル〉を単項モデル、逸脱者と統制者という2者の相互作用を重視する〈集団規範モデル〉を2項モデルと呼び、両者を総合する3項モデルを析出しようと試みるのである。

では、著者がいう3項モデルとは何か。
本書26頁に、「他者の視点を介して他者も共有すると思われる基準を志向する社会規範レベルの行為者、そして逸脱者および第三者への働きかけを介して状況に関する定義を志向する集団規範レベルの統制者、これら二種類の志向が交わるのは『第三者である他者』においてである」(下線は評者)と述べられている。つまり、第3項とは、まず〈社会規範モデル〉においては、「他者の視点を介して」とあるように、行為者にとっていわば想定された他者のことである。そして、〈集団規範モデル〉においては、統制者と彼と逸脱者を取り巻く実際の観衆とされる。つまり、〈社会規範モデル〉の想定された他者と〈集団規範モデル〉の観衆が「第三者である他者」として析出され、〈3項モデル〉が導かれるのである。

つづく第2章では、著者はこの「第三者の問題」をデュルケムとフーコーの刑罰論の比較検討から考察している。そもそも二人の理論は、「逸脱者・統制者・第三者の三者関係を視野に収める三項モデルを提示している」(37頁)からだという。著者は、2人の刑罰論を検討することで、これまで互いに相容れないと見られてきた両者に共通する「第三者」を突きとめようとする。

まず、フーコーの刑罰論にとっての第三者であるが、これは比較的理解しやすい。フーコー自身が言明しているように、古典主義時代では身体刑の儀式における主役は民衆であった。著者はこれを踏まえて、「刑罰の執行は、民衆という具体的な第三者の視線に向けられて行われた」(50頁)と述べている。
また、19世紀以降の規律社会における刑罰をめぐる第三者は、著者によれば、あの「一望監視施設」の「匿名の監視人として描かれている」という(51頁)。

では、デュルケムは刑罰をめぐる第三者をどのように捉えているのか。
著者はデュルケムの「刑罰進化の二法則」はじめその代表的著作を渉猟することによって、近代以前であれ以降であれ、彼にとって刑罰の機能は侵害された「集合意識」の回復と維持にあるとする。そのことを確認したうえで、著者は、「刑罰が刑罰として成立するためには、刑罰を執行する者や執行される者だけでなく、諸個人からなるにせよそれらを超越しているにせよ、何らかの形で第三者の関与が必要不可欠である」と強調する。

著者は、明言を避けてはいるが、この「集合意識」こそ刑罰をめぐる第三者だとみなしているようだ。そのことは、「現代の第三者はフーコーのいうように権力のゲームにからめとられた存在なのか、(中略)デュルケムが集合意識の代理人として描いた存在なのか」という一節からも伺える(51頁)。ただし、デュルケムがどのように「集合意識の代理人」を具体的に描いているかは、本書で明示されていないのが残念である。

つづく第3章から第6章そして最終章までは、本書のサブタイトル「近代日本の刑事司法と犯罪報道」に見られるように、封建時代後期から近代日本の成立に至るまでの刑事司法の変遷についての実証研究である。第1,2章で構築された3項モデルとりわけ「観衆」という視点の導入が、従来の歴史社会学的研究をこえてどのような新たなパースペクティブを展開しているか、大変興味深いところである。

第3章「封建的刑事司法と観衆」では、近代以前、民衆の役割は刑事司法の入口と出口にのみ限定されていたという。つまり、捜査段階での申告者と捜査員という役割と刑執行段階での観衆という役割である。これは裁判段階が非公開であったからであるが、これに対して、公開刑は「群衆の形成」「好奇の対象」「法執行者の厳かな儀式」という3要素によって構成されていたと分析される(73頁)。

「観衆」という視点を強調する著者は、公開刑において「観衆の関心は法違反者にあるのではなく、専ら法違反者に対する法執行者の厳格な処置にあった」「法執行者の振る舞いを見るために人々は刑場に出かけたのである」と指摘する。また、「江戸時代後期、裁判は観衆に対して積極的に秘密にされたのではなく、そもそも公開する必要がなかったといえる。なぜなら、民衆は法執行者たちの関係を規定する法の適用場面に関心があるのでなく、法執行者と観衆の関係を規定する刑罰の執行場面に関心があったと思われるからだ」(77頁)と指摘するのである。

つづく第4章「公開刑廃止の社会的要因」は、明治初期、刑事司法制度の集権化と合理化という2要因が封建身分制に支えられた公開刑を廃絶させ、それによって刑罰の対象が「一個の身体」から「一人の人間」となったと説く。つまり、「社会秩序が個人を中軸にして再編成」されることによって、公開刑が「残酷な行為」となったのである、と(102頁)。

第5章「公開裁判および犯罪報道成立の社会的要因」では、刑事裁判が公開されるに至る過程が辿られている。著者の知見で興味深いのは、「厳かな刑事裁判」が国民という「観衆」に公開されるに先立って、明治政府が「判決宣告あるいは公判という言説中心の場面を新聞記者に公開」(116頁)するという過渡期が存在したことだ。つまり、国家秩序の正当性を顕示する「厳かな儀式」が公開刑から公開裁判へと移行する過程で果たした犯罪報道の役割の指摘である。「明治期における公開裁判と犯罪報道の成立は、(中略)観衆を刑事司法に組み込むための新たな仕組みをつくり出す」(129頁)、と。

つづく第6章「新聞における犯罪の表象」は、前章が統治の側面からの分析であるのに対して、犯罪報道の内容分析である。公開刑が廃止された翌1878(明治11)年の警察・司法統計と東京日日新聞と読売新聞に掲載された犯罪記事の内容の比較考量を通して、観衆の意識の構成要素を抽出しようと試みる。

そこで得られた知見で興味深いのは、まず犯罪統計上、法違反者数の多い「違警犯」と「賭博」への新聞の扱いが小さく、「暴動」と「政治犯・暗殺」では新聞の扱いが大きい点である。また、士族・名望家層を読者層とする東京日日新聞が統計中心の犯罪記事を「罪種別」分類の法違反者数で表示し、報道中心の記事では「政治犯・暗殺」に多くの字数を費やすのに対して、都市庶民層を読者層とする読売新聞は「刑種別」の統計を表示し、「財産犯」の報道に字数が多いというように、明らかな相違が見られることである。以上の事実から、著者は、両紙の記者・読者が「法執行者ほど被害者なき犯罪に関心がなく、読者の階層に近い人々が関係する犯罪類型および被害者が登場する事件に関心がある」(161頁)と整理している。

さて、本書全体のまとめである最終章「近代的刑事司法における観衆の構造と機能」の中心をなすのは、「犯罪報道はどのようなメカニズムで刑法の正当性を保証するのか」という問いである。
著者は、次のような事実を指摘する。刑事法廷は法執行者である「判事」と「検事」そして法違反者(「罪人」)という三者によって構成され、被害者は存在しない。これに対して、犯罪報道は「法違反者・法執行者・被害者」という三者から構成される。

では、なぜ、そうした三者を枠組みとする犯罪報道が「刑法の正当性」を「保証」するのか。著者によれば、「犯罪報道は、法違反者の犯罪行為に対する法執行者の反作用を元に報道機関の構成員が制作し、読者・視聴者が『法違反者・法執行者・被害者』の枠組みを内面化して被害者の被害を基準にすることによって刑法の正当性を保証する」(167頁)のである。

著者は、「法違反者・法執行者・観衆」という三者関係が重要であるばかりか、近代以前と以後と変わりなく、「観衆」こそ刑事司法の中心をなしていると述べる。その理由は次のとおりである。「公開刑の観衆」は「法執行者を見せ物・儀式の主体、法違反者を見せ物・儀式の客体に位置づけることによって刑法の正当性を保証」するとともに、「身分に関する規範を内面化する」。これに対して、「犯罪報道の観衆」は「被害者の人格という個人に関する規範を内面化する」ことで、「刑法の正当性を維持することを担っている」(167‐8頁)からである、と。

以上、本書の構成に沿って主要論点を紹介してきたが、ここで評者が抱いた疑問を一点だけ挙げておきたい。

その疑問とは、「犯罪報道は刑法の正当性を保証する」という、スリリングで魅力的な中心命題それ自体に対するものである。機能主義社会学に依拠する著者の立場に即していえば、犯罪報道のもつ「逆機能」の側面がまったく論じられていないのはなぜかという疑問である。

このような疑問を呈するのは、かつて『近代ジャーナリズムの誕生―イギリス犯罪報道の社会史から』で、近代新聞と近代警察がコインの裏表のように成立した経緯を明らかにした評者は、19世紀初め、犯罪報道が犯罪そのものを煽動するという論議が盛んになされ、公判中の事件報道は法廷侮辱罪に問われたことを知っているからである。

その意味では、本書で分析の対象とされた1878(明治11)年の犯罪報道が、当時の新聞紙条例によってすべて刑の宣告後あるいは刑執行後の事件ばかりであるがゆえに、著者のいう「犯罪報道は刑法の正当性を保証する」という言説は成立するといえるのである。

しかしながら、その後、近代日本においても犯罪報道が裁判以前すなわち警察の捜査時点に集中してなされてきたことは周知のとおりである。近代ジャーナリズムの問題を、警察段階で被疑者を犯人視する犯罪報道は「罪刑法定主義」という刑事司法制度そのものへの侵犯ではないかという問いから論じた評者としては、松永氏がそのような犯罪報道の刑事司法に対する「逆機能」をどう考えておられるか、その見解を伺いたいと思う。

て、以上のような疑問を呈するのは、最初に述べたように、評者は著者の「観衆」という第3項の重視に賛意をいだくからであり、また、「犯罪報道」が「刑法の正当性を保証する」ものでなければならないという論点において、著者と見解を共にするからである。この問題は、とりわけ裁判員制度がスタートした現在、方法論的にたとえ機能主義あるいは構築主義いずれの立場に立とうとも、犯罪社会学の研究者の間で、今後、大いに議論されなければならないだろう。


# by gobancho_jp | 2009-09-29 08:09 | Media
見立て絵からわかること
私は、もう一つのブログの舞台評の中で、日本舞踊アカデミー45周年記念公演の「ブロードウェイ・メドレイ」のCATSの場面で、恋人の手紙を読む花魁とそれを覗き見る女将の姿が、錦絵の創始者・鈴木晴信以来の見立て絵の伝統に根ざしたものだということを指摘した。そのことに触れて、友人から、次のような感想が寄せられた。

「手紙などの黙読が始まったのは近世になってからで、古代や中世では音読であったという話を最近何かで読んだところです」、と。

 近代以前に読書は音読によってなされたという見解は、近代読者の成立を論じた故前田愛氏などによって唱えられ、おそらく近代文学研究者たちの間で常識とされている説だと思われる。私なども、イギリス近代ジャーナリズムの成立を研究する際、読者層の研究は不可欠であるため、黙読か音読かについて調べたことがある。18~19世紀初め、新聞は明らかに音読されていたし、新聞とともに成立した近代小説もまた家庭の炉辺で一家の主人が家族に朗読して聞かせていたという事実も明らかだ。(ディケンズらの一連の小説を想起してください。)

私が前田愛氏の研究でよく覚えているのは、ツルゲーネフの「あいびき」の二葉亭四迷による言文一致体の翻訳が、当時の青年たちによって黙読されたというエピソードだ。当時の青年たちは、その黙読によって、生の、生き生きとした声が脳内に鳴り響くような感動を覚えたという証言をしているということだ。私が興味深かったのは、黙読によって、かえって現実の生の声の世界が開けたというアイロニカルな事実である。つまり、それまでの音読による戯作調や漢文調がすでに紋切り型の表現でしかなくなっていたという歴史的事実だ。

ひるがえってみて、最近、音読の復権が唱えられているのは、近代に成立した黙読中心の言語世界が閉塞状況を迎えているという事実であり、考えるに値するとても面白い事態である。ネットにあふれる膨大な文字群やケータイの絵文字の世界は、たしかに音読にはふさわしくない。その考察はいずれ機会を改めることにしよう。

さて、近代以前、手紙は音読されたのか黙読されたのか、私の見解を述べたい。

先の舞台評の中で、私は、鈴木春信の「見立寒山拾得」という錦絵に触れた。恋人からの手紙を読みふける娘に、箒をもった女中がそっとのぞき見している図柄である。じつは、この絵では、娘が声に出して手紙を読んでいるのか、それとも黙読しているのかがはっきりと分からない。


そこで、春信の浮世絵作品の中から、音読か黙読かがはっきりとわかる別の見立て絵を探してみた。
「見立忠臣蔵」という題で知られる一枚です。炬燵櫓に腰掛けて手紙を読む娘と炬燵にもぐりこんだ姿勢でその手紙を覗きこんでいる若衆という図柄である。娘が読んでいる手紙の文面と若衆が読んでいる文面とは異なっているから、お互いが声に出して読んだら邪魔になることであろう。

じつは、この構図は、忠臣蔵7段目の「祇園一力茶屋」の場面を当世風にやつした絵柄なのだ。遊興にふけるふりをする大星由良之介がやっと一人になり、縁先で、浅野内匠頭夫人の顔世御前からの密書を読み始める。お軽は二階から鏡で写してその手紙を読み、敵の九太夫は縁の下で垂れてくる巻紙の文面を盗み読む。やがてお軽の簪が落ち、その音に由良之介は二人の存在に気付き、九太夫をお軽の兄に殺させ、彼女の身請け話をして去るという名場面である。

由良之介は密書を声に出して読むはずはなく、ましてやそれを盗み読む二人もまた同じだ。その見立て絵である春信の「見立忠臣蔵」の手紙を読む図柄も明らかに黙読の風景であると考えた方が理にかなっていると思われる。だいいち、恋文や密書を声に出して読んだら、すぐに誰かに聞かれてしまうのが日本家屋の特徴ではなかったか。

それともう一つ。明治10年代まで、わが国の読書は漢詩文がその首位を占めてきた。漢詩文ひいては漢字はもともと象形を起源とする視覚的な表意文字で、西欧のアルファベットのような聴覚中心の表音文字ではない。寺小屋の素読は別として、江戸時代いやそれ以前から、つまり平安朝以来の日本の学者や学僧が漢籍や仏典を常に音読していたとは考えにくいように思われる。前田愛をはじめとする近代文学研究者が、黙読は近代になって初めて成立したと主張するなら、それは明らかに間違いというほかない。

 それはともかくとして、鈴木春信の「見立寒山拾得」という錦絵にもどろう。
手紙を読む娘とそれを覗きこむ娘の絵柄のもととなった寒山拾得の水墨画も数多く描かれているが、それらの絵の中の寒山は文殊菩薩、拾得は文殊菩薩というように、じつは見立てはより複雑な構造をもっている。そもそもわが国の本地垂迹説という発想法こそ、見立てにほかならないと言ってよい。あの舞台評では、見立ては不易流行と雅俗という対立する要素を融合する創造法だと述べたが、もうひとつ聖俗の融合のことも触れておかなくてはと思い、ここに紹介することにした。

# by gobancho_jp | 2009-08-01 11:51 | Media
中国のケータイとSIMカード

中国のケータイとSIMカード

 2009年4月28日(火)の「日本経済新聞」朝刊トップに、「次世代携帯 日中が協力」という大見出しで、次のような記事が載った。スクープ記事である。

「麻生太郎首相と中国の温家宝首相は二十九日に北京で会談し、次世代携帯電話の開発に向けた技術協力の枠組みづくりで合意する。中国で主流となる通信規格が、日本と同じ第二世代携帯電話(3G)や、第二・九世代(3.9G)に移行するのを見据え、両政府が新たな端末開発やインフラ整備で連携する官民協力を主導。動画などコンテンツの共同研究も促す。技術協力をテコに約六億五千万件とされる世界最大の携帯電話市場への日本企業の進出を後押しする。」

 背景説明によると、中国のケータイはまだ2Gが主流で日中の通信規格が異なるために、これまで日本企業の中国展開はフィンランドのノキアなどの海外勢に立ち遅れ、NECやパナソニック、京セラなどが撤退に追い込まれていた。だが、中国通信大手も2011年までに3Gサービスへのインフラ整備へ6兆円を投資し、端末の買い替えや基地局の建設などで大きな需要が期待できるという。。
「今回の合意では、まず次世代携帯電話の普及に必要な新しい通信設備やブロードバンド技術など、インフラ面で技術協力。3Gや3.9G方式移行に伴う通信容量の拡大に対応する携帯電話用の動画や音楽などのコンテンツ、アプリケーション(応用)ソフトを共同研究する。課金システムやICカードとしての活用法のノウハウも提供する方向だ。」

 この記事は、技術的に先行する日本が中国の技術力の向上に貢献することによって、これまで海外から劣勢に立たされてきた日本の通信業界の中国展開を一挙に挽回することになる、という論調である。
しかも、この記事の最後は以下のように締めくくられている。

「通信関連の日本の競争政策や法整備の経験も中国側に伝える。通信大手三社の」寡占状態にある中国では、徳に最大手の中国移動通信集団(チャイナモバイル)の経営を促すのが課題。政府筋は法制度に関する協力について「NTTがある中、他の通信事業者との競争状態を実現させた日本の経験が生きる」と見ている。」

この記事を私の友人の中国人に見せたところ、彼は憤りを抑えながら、語った。

「まるで先進国が後進国に対して技術提供から経営のノウハウまで教えてやるといった内容ですね。けれど、日本がこれまで海外勢に大きく後れをとってきた理由について、とんでもない間違いが書かれていますね。2Gだから通信規格が異なるためだ、ではないでしょう」、と。

そう言って、中国と日本を頻繁に行き来している彼が、帰国した際に使っているという携帯電話機を見せてくれた。
それは、中国のケータイでは中の下の価格帯で、日本円にしたら4000円だという。驚いたことに、ディスプレイ画面はタッチパネル方式である。
背面の蓋を開け、電池を取り外して内部を見せてくれた。
驚いたことに、SIMカードを装着する部分が2か所もあるのだ。
これは一体、どういうことだろう?
私の質問に対して、友人は以下のように答えたのである。

「一台の端末で、それぞれ番号が違うから、私用と仕事用とに分けて使えるのです。あるいは、私のケータイに友達がSIMカードを入れて、臨時に自分の番号で発信もできるし、受信することもできるわけです。
なぜ日本の中国通信市場への参入がノキアなどに大きく後れをとってきたか、その理由が分かりますね。日本の携帯端末はSIMカードにロックがかかっていて、中国では通用しないからなのです。
日本政府が通信技術だけでなく、NTTなどの経営のノウハウを中国に教えてくれるというのは、日本のケータイのように中国のケータイにもSIMロックをかけようというのではないでしょうね?」
そういって、彼は、皮肉そうな笑みを浮かべたのだった

私としては、中国と日本の間でケータイ事業の全面協力が行われることによって、日本のケータイ端末のSIMロックが外される日がおとづれることを願ってやまない。この国は外圧に弱い国なのだから。



(追記)

以上の記述をした後、以下のようなネット記事を見つけた。

案の定、中国サイドの評価はとてもきびしい。

http://www.recordchina.co.jp/group/g31060.html

# by gobancho_jp | 2009-05-04 01:10 | Media
オバマ氏はなぜアメリカ人の心を捉えたか?
           
 1
今、私は、バラク・オバマ氏の著書『合衆国再生(プレジデント社、2007)を読み終えたばかりだ。全世界が熱狂に包まれたといっていい2008年11月4日、シカゴでの大統領選勝利宣言を聞いて、彼がこれまで書いたものやスピーチを調べてみようと思ったのだ。

現在、この未曽有の金融・経済危機のなかで、人びとの関心は、オバマ次期大統領政権の経済政策や対外政策がどうなるかという話題に躍起となっている。けれど、なぜ、彼がかくもアメリカ国民とりわけ若者の心を捉えることができたのか。これはしっかりと検証しておかなければならないだろう。

選挙結果の分析によれば、投票した若者の3人に1人がオバマ氏に一票を投じたという。勝利演説の中で、オバマ氏は語っている。

「若い世代は無気力だという神話を拒絶した若者たちが、少ない報酬の、しかも睡眠時間のもっと少ない仕事に自分を捧げるため、家と家族から離れて参加してくれた」、と。

長い選挙戦で、FacebookというSNSを駆使して全米各地でのオバマ候補の集会への参加を呼びかけたのも彼ら若者たちだった。

ところが、バラク・オバマ氏の『合衆国再生』を読みながら、思わず目を見張ったくだりがあった。それは、オバマ氏が1996年から2004年1月まで務めたイリノイ州の上院議員だった頃のエピソードである。

 彼は、次のように述べている。「イリノイ州の上院で民主党が過半数を回復した年、わたしは、死刑事件の取り調べと自白にビデオ録画を課す法案の発起人になった。(中略)当時のイリノイ州の死刑事件のさばきには、過失や警察のいかがわしい戦術や人種的偏見や不誠実な方の実務がはびこっていて、13人の死刑囚が容疑を晴らして釈放され、共和党の知事が全死刑囚の刑の一時執行停止を決定したほどだった」。

オバマ氏はこれらの日付を詳しく述べていないが、じつは、この死刑執行の一時停止は2001年1月、当時のジョージ・ライアン知事によるものだ。また、民主党が州議会で過半数となったのは2003年のことだ。

さらに詳しくいうと、2003年1月13日に任期満了で引退するライアン知事は、その2日前、ノースウェスタン大学で、今度は全死刑囚167人の一括減刑を発表する。なぜ、この大学であったのかは、あとで分るだろう。ともあれ、元来、強固な死刑存続論者だったこの共和党知事にそのような行動をとらせたのは、彼が設置した死刑制度調査会の報告によって、イリノイ州内の多数の死刑囚の無実が明らかになったからだ。

ところが、興味深いことに、オバマ氏は次のように述べている。「死刑制度改正の機は熟しているかのように見えたが、にもかかわらず、私の法案に通過のチャンスを与える人はほとんどいなかった」、と。

州の検察や警察の反対はいうまでもなく、じつは民主党の新知事ブラゴジェビッチも当初、彼の提案に反対だった。そればかりでなく、死刑廃止論者はオバマ氏の提案が彼らのめざす理想を損なうといい、彼の同僚議員たちも「すこし犯罪者に甘いのではないか」といって尻込みしたのだ。

オバマ氏がこの状況を打開するためにとったのは、「深刻な意見の相違には焦点を定めず、全員が共有しているはずの共通の価値」について話合うことだった。この場合、その価値観とは、「無実の人は決して死刑囚監房にいるべきではなく、死刑に相当する罪を犯した人は決して自由の身になるべきではない」ということだ。

最終的には、彼の法案は修正が加えられ、「関係するさまざまな陣営の支持」を得て、イリノイ州上院を全員一致で通過する。

オバマ氏は、「政策の立案にこうしたアプローチをとったからといって、かならずうまくいくとは限らない」と語り、失敗例も紹介している。

けれど、このエピソードは、民主党か共和党か、あるいはリベラルか保守かというイデオロギーの違いをこえて、だれもが分かち合える「共通の価値観」を掘り起こし、それにふさわしいアクションを起こすというオバマ氏の特徴をものがたる好例として、とても興味深いものだ。具体的な問題をだれもが理解可能な命題に簡略化するのは彼の分析的理性のなせるわざだ。さっき、このエピソードに日付が明記されていないと言ったけれど、オバマ氏の著書が年代記的な記述よりも、彼の方法論とその実践のしかたに主眼があるからだ。

さて、冒頭で思わず目を見張ったといったのはこのエピソードのことだが、私が驚いたのはこの事実そのものではない。死刑事件の取り調べにビデオ録画を課すという彼の法案を発意させた、多数の死刑囚の無実の判明という事実の、その発端となった出来事のことだ。

アメリカ全土では周知の、だからオバマ氏があえてそのことに触れなかった、もう一つのエピソードがある。イリノイ州はおろか全米を震撼させた事件だ。

それはオバマ氏の法案の4年前、1999年3月、16年半もの間死刑囚として刑務所に閉じ込められていた一人の黒人青年の無罪が確定するという出来事だ。しかも、彼の無罪を証明したのは冤罪専門の弁護士ではなく、法律知識もない6人の若者たちによってだったという事実だ。共和党のライアン知事がすぐに死刑制度調査委員会を発足させ、ほかにも8人の冤罪が明らかになるのも、彼らのおかげだった。

 さて、この若者たちは、ノースウェスタン大学4年生で、ジャーナリズム学部のデビッド・プロテス教授の授業で、殺人事件の裁判記録を調べ、殺害現場に行き、そして目撃者に会うことによって、黒人青年の冤罪を明らかにした。そればかりか、真犯人をつきとめさえしたのだ。その経緯は、2003年、NHKのBSプライムタイムで『死刑を中止させた若者たち』というタイトルで放映されたドキュメンタリー番組で取りあげられている。

歴史に「もしも」はありえない。けれど、私は、もしもこの若者たちがジャーナリズムの授業の課題でこの冤罪事件の調査に取組まなかったならば、とつい考えてしまう。そうだったとしたら、イリノイ州上院議員のバラク・オバマ氏の法案はありえず、彼はその後ちがった経歴を歩んだろう。「北京の蝶」理論よりははるかに確かだ。

 若者の支持によってアメリカ大統領となったオバマ氏だが、それ以前に、彼の輝かしいキャリアそのものが若者たちのなし遂げた成果の上に築かれていることに、私は驚いたのだ。そして、そうした若者の心に共鳴して行動を起こす彼だからこそ、また若者の心をとらえることができたにちがいない、と私は確信したのだった。

 2
私が彼の言説にこだわるのは、それが多くのアメリカ人にとって、言語論的転回とでもいうべき、まぎれもない変革CHANGEをもたらせたと思うからである。

 もう一度、「こんばんは シカゴ!」という挨拶で始まる2008年11月4日のオバマ氏の大統領選勝利演説にもどろう。そのスピーチは、次のような言葉が続く。

「老人も若者も、富める者もそうでない人も、民主党支持者も共和党支持者も、白人、黒人、ヒスパニック、アジア人、あるいはネイティブ・アメリカン、ゲイであろうとストレートであろうと、障害者もそうでない人も、世界にメッセージを発信したのだ。我々はただ個人の集合ではないと。あるいは赤い州と青い州の集まりにすぎないわけではないと」

 じつはこの演説は、2004年7月、ブッシュ再選を阻むべく民主党から大統領選に立ったケリー上院議員から,急きょ指名されたオバマ氏が行ったスピーチの一節、―
 「リベラルな米国も保守の米国もない。ただ合衆国があるだけだ。黒人の米国も白人の米国もラテン系の米国もアジア系の米国もない。ただ合衆国があるだけだ」という、まだ上院議員1年目の彼をして一躍有名にしたスピーチを復唱したものであることはいうまでもない。

あたりまえといえばあたりまえ過ぎるこの言葉が、なぜ、かくもアメリカ国民の心の琴線に触れえたかを、私は検証しようとしているのだが、その前に、ぜひ突き止めておかなければならないことがある。

それは、オバマ氏がこの言葉を発するにいたった心の遍歴はいったいどのようなものだったか、である。『合衆国再生』を読み終えた私は、彼のライフ・ヒストリーを辿ってみようと、彼の最初の本『マイ・ドリーム』(白倉三紀子他訳、ダイヤモンド社、2007年)を開いた。

マリファナやコカインに手を染め、高校を落第寸前までという経験をした、ちょっと暴力的なところもあるアドレッセンス期を送るオバマ氏はとても意外で、その数々のエピソードはまるで小説を読んでいるような面白さに満ちている。彼の葛藤が白人の母と黒人の父の間に生まれた自己のアイデンティティの模索ゆえであることはいうまでもない。

ちなみに、私が最初に読んだ『合衆国再生』の原題となったThe Audacity of Hope(希望を持つ勇気!)という言葉が、彼がトリニティ教会の日曜礼拝で聞いたライト牧師の説教のタイトルだったことを知った。ライト牧師の話に聞きいるオバマ青年が、隣に座っていた男の子にそっとティシューを手渡されてはじめて、自分が泣いていることに気づく場面は鮮烈だった。

 さて、コロンビア大学を卒業後、黒人としてのアイデンティティを求めて、シカゴでの「コミュニティー開発プロジェクト」に参加した彼は、絶望に打ちのめされそうになりながらも、ある日、次のような心境に達する。

「言葉と行動を一致させ、心からの願いと実行可能な計画を一致させること。結局のところ、これこそが自尊心の源になるのではないか?私はそう考えてオルガナイザーの仕事を始めたのだ。そしてその考えを辿っていくと、わたしにとって人種や文化の純粋さを追求することが自尊心の源にならないと同じように、もはやそれは一般のアフリカ系アメリカ人の自尊心の源にもならない、という結論に達するのである。その人らしさ、その人の全体性というのは、譲り受けた血統よりももっと繊細な何かから生まれるものであるはずだ」

オバマ氏はこう呟いた後、彼が出会い、一緒に仕事をしてきた人びとの姿を思い浮かべ、そして続ける。「それぞれ自分が持っている物語の中に、複雑で矛盾に富んだ生い立ちの中に、全体性を与えてくれる源を見出さなければならないのである」、と。

この一節を読んだ私は、オバマ氏がその後、スピーチの中で何度も繰り返すあれらの言葉の真意を見出したように思った。

 3
ここで、もう一度、2004年7月、ケリー民主党大統領候補に指名されて基調演説を行ったオバマ氏の一節を引用したい。

「リベラルな米国も保守の米国もない。ただ合衆国があるだけだ。黒人の米国も白人の米国もラテン系の米国もアジア系の米国もない。ただ合衆国があるだけだ」

あたりまえといえばあたりまえ過ぎるこの言葉が、なぜ、アメリカ国民の胸を打ったのか、私はいよいよその核心に迫りたいと思う。

ナローキャスティングnarrowcastingという言葉がある。これは、マーケティング用語で、マスメディアのブロードキャスティングbroadcastingつまり従来の大量広告に対する新たな方法を指す。もっといえば、特定のターゲットに絞り込んで効率的に顧客をつかもうとする広告(狭告!?)や販売促進活動のことだ。Google検索サイトの右側にずらりと並ぶアドワードなどはコンテント・ターゲット広告と呼ばれるが、ナローキャスティングというマーケティング法の一種といってもいいだろう。

この手法はマーケティングの分野をこえて、政治の世界にも応用されている。選挙キャンペーンだ。

選挙運動員が有権者を戸別訪問する際、あらかじめターゲットの個人情報を入手し、その関心にそった問題にどう自分たちの政党が取り組んでいるかをアピールすることで、自党への投票を促すというのがナローキャスティングによる選挙キャンペーンだ。銃規制問題、人工中絶、軍事・経済・外交問題等々、それぞれの有権者の関心に合わせて、あらかじめその人向けのメッセージが用意されるのだ。

では、そうした有権者の情報はどのように入手されるのだろう。

アメリカ国民の顧客情報を一元的にデータベス化している、アクシオム・コーポレーション(ACXIOM:本社アーカンソー州)という会社からである。その巨大なスーパーコンピュータには、国勢調査から納税記録、クライアント企業やクレジットカード会社から提供された顧客記録がアーカイブされている。名前、住所、電話番号はもちろん、取り寄せたカタログから買った車や靴のサイズまで、国民一人一人のあらゆる情報が保管されているのだ。

さて、あの2004年のブッシュ対ケリーの大統領選こそ、共和党も民主党もこぞってナローキャスティングの手法を取り入れた選挙活動を展開した選挙だったのだ。

それでは、このナローキャスティングという方法は、アメリカの人びとにどのような影響をもたらしてきたのだろうか。

この方法は、自分の利害と幸福、そして共通の利害を持った者にしか関心を示さない人びとの群れ、つまり統計的に多種多様に分類されたグループの集合でしかない社会をもたらすのである。しかも、このナローキャスティングの方法の背後にある人間像は、快と不快という快楽原則のみにしたがって生きる人間類型にほかならない。

フランク・ランツというマーケティング・リサーチャーといえば、ブッシュ政権のPR戦略の中枢にいた人物である。彼こそ、言葉を巧みに操作することで人間の深層心理へと訴求する力を発揮した言葉の天才である。

その有名な例が、地球温暖化Global Warmingを気象変動Climate Changeへと、遺産税Estate Taxを死亡税Death Taxへと言いかえることで、それらの言葉にまつわるイメージを一転させた。

気象変動という言葉で地球温暖化にまつわる危険で不快なイメージを中和させ、ブッシュ政権のエネルギー・環境政策を決定的にした。逆に、遺産税という言葉にともなう持てる者の義務という良いイメージは、死亡税という言葉で禍々しい不快なイメージに変化し、富裕層に有利な減税政策の実施を可能にしたのだ。その極めつけは、テロとの戦いWar on Terrorだが、これについては小森陽一さんの『心脳コントロール社会』(2006年)の詳細な分析にゆずることにしよう。(ちなみに、私のこの小文は、彼と同様、2004年、WGBH制作の「The Persuaders」に多くを負っている。このドキュメンタリー番組は翌年、NHKによって「マーケティングがアメリカを動かす」という邦題で放映されている。)

ナローキャスティングの選挙キャンペーンとフランツ・ランツの言語操作に共通するのは、快楽原則で生きるバラバラな個人という人間観、そしてマーケティングによってさまざまにグループ分けされる集合という統計的社会観にほかならない。2004年の大統領選は、ブッシュ共和党ばかりかケリー民主党さえもが、まさにアメリカ消費社会にふさわしい選挙戦略に躍起となっていたのだった。

2004年7月、上院予備選わずか4ヶ月後のオバマ氏が行ったスピーチは、そうしたマーケィングによって培われた人間観と社会観を根底から覆すものだったのだ。私は、彼のスピーチの言葉を、「あたりまえといえばあたりまえ過ぎる言葉」と何度もいってきた。けれど、だからこそアメリカ国民はその言葉に胸を打たれたにちがいない。

オバマ氏の演説の「言葉の力」については、すでに多くの人々が賞賛している。私もまた彼の声の魅力、彼のレトリックの巧みさ、彼の緩急自在な雄弁のすばらしさを否定するものではない。けれど、「言葉の力」というならば、フランク・ランツがまさに得意とするところだ。オバマ氏はそんな「力」など嫌悪することだろう。(何でもチカラという語で片づけようとするのは、今日の日本に蔓延している「力」信仰というべき悪しき風潮だ。フランツ・ランクではないが、「力」という言葉はそれを口にする人びとに心地よい快の感情を与え、そこで思考停止させてしまうのだ。)

 オバマ氏は、シカゴでコミュニティ・オーガナイザーの仕事をしていた時、同僚に向かって腹立たしそうに言っている。「オーガナイズするためだけに、他人の心に足を踏み入れて信頼関係をつくろうとするのは、人を操作する行為にひとしいではないか」、と。

 彼の言葉は、人びとを欲望とニーズによって差別化するマ―ケティングの言葉とはまったく正反対のものだったのである。

 そして、彼のスピーチは、その魂の遍歴によって得た信念から発せられた言葉だからこそ、アメリカ国民に深い覚醒と感動を与えたのにちがいない。それは、アメリカという国に住む多種多様な人びとのさまざまな利害と差異をこえて、だれもが分かち合える「共通の価値観」を掘り起こそうというあの信念である。

おそらく、その実践はとてつもなく困難な道だろう。けれど、ライト牧師からオバマ氏へと渡された「希望を持つ勇気」という言葉こそ、その一筋の道を照らす灯だったのではないだろうか。


私は、ふたたびオバマ氏について語ろうとしている。前記の文章の終わりで、彼のスピーチの言葉は「その魂の遍歴によって得た信念から発せられた言葉」と書いたことについて補足しなければならないと思うからだ。

実は、先のエッセイを書いたとき、オバマ氏の『マイ・ドリーム』の最後「第三部 ケニヤ」をあえて読んでいなかった。彼がシカゴでのオーガナイザーの仕事をやめ、ハーバード・ロースクールに入学する前の期間を利用してアフリカを訪ねる部分だ。私は、彼のルーツを求める旅はまた別の物語に属することだろうと思ったのだ。

ところが、その後、その本の最終章「オバマ家の物語」を読み進むうちに、次のような場面に出あった。

オバマ青年は自分の父親と祖父の二つの墓石の間に座って涙を流す。「そして涙が枯れると心が穏やかになった。ついに私の人生の輪が完結したのだ。自分が誰なのか分かり、自分にとって大切なものは、もはや単に知性とか義務といったことではなく、言葉で表現できるものでもないということに気づいたのである」、と彼は書いている。

彼は、その時、父や祖父の孤独な生涯を思いながら、彼らが得られなかった「苦難を乗り越えた者だけが持つことのできる信念」について、考えをめぐらしていたのだ。

「その信念とは、新しいものではなく、黒人か白人か、キリスト教徒かイスラム教徒かということには関係のないものであり、アフリカの最初の村や、カンザスにできた最初の家に息づいていた信念なのだ、他人を信じる気持ちなのだ、と」

彼の心を穏やかにしたものこそ、この単純な事実の発見であった。そして、オバマ氏が2004年のケリー候補応援演説でまた2008年の勝利宣言で繰り返し語った言葉のルーツはここにある。

最後に、ドイツ人のジャーナリスト、C・v・マーシャルがオバマ氏について書いた『ブラック・ケネディ』(大石りら訳、2008年)という本がある。

その中で、オバマ氏の妻ミシェルが、2007年7月のNBCニュースで、夫バラクの演説について語っている言葉は、今日のアメリカの精神状況を的確に語っている。

「彼の発言は、他の候補者とそれほど大差はないわ。でも、たった一つだけ他の候補者とは違う言葉がある。それは、『われわれは政党間の争いを過去のものとし、協力し合わなくてはならない』ということ。そんなことをわざわざ強調しなければならないなんて情けないことよね。でも、彼のその主張を聞くと、とても新鮮な気分にさせられるわ」

彼女の言葉はこの小文が検証しようとしてきたことをみごとに裏づけてくれる。なお、私はこれを綴りながら、現在の日本の精神状況についてずっと思案をめぐらしていたことを記しておきたい。




# by gobancho_jp | 2009-01-08 08:42 | Media
Review restarted
2年間のブランクののち、今年からReviewを再スタートすることにする。
雑誌・新聞に掲載された記事については
Murakami Journalの方に再録するが、
こちらでは、日々の思索を綴っていこうと思う。

                                 2009年1月3日

# by gobancho_jp | 2009-01-03 03:46
< 前のページ 次のページ >